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■子規と漱石
俳聖と呼ばれる正岡子規と、文豪・夏目漱石は、生涯を通じての親友でした。「僕ハモウダメニナッタ」と、病床の子規がロンドンの漱石に送った手紙は有名です。
この二人の織りなす交友の中で日本の近代文学は羽ばたいたのです。
「春や昔 15万石の城下かな」
「ふらんすに 夏痩せなんどなかるべし」
子規
フランス大使館へ在任中の叔父加藤拓川の写真を見て花の都パリへのあこがれと想像を俳句に詠んだものです。
「君を送りて思ふことあり 蚊帳に泣く」
子規
親友・秋山真之の米国留学に際して、さっそうと異国へ出立する親友のまぶしさと病身にあるわが身の恨めしさを詠んだものです。
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■正岡子規
松山で生まれた子規は、東京に遊学して文学を志しました。その交友圏は、外交官で自由人だった叔父加藤拓川により広がり、郷友の秋山好古・秋山真之兄弟など、明治の各界で活躍した多彩 な人物と親交がありました。
また東京の学友・夏目漱石や後輩の高浜虚子、河東碧悟桐とのつながりは、日本の近代文学に大きな足跡を残しました。 |
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■坂の上の雲
司馬遼太郎の代表作の一つです。近代俳句の生みの親である 正岡子規。騎兵を率いて日露戦争で活躍 した秋山好古。同じく日露戦争の日本海海戦の参謀を務めた秋山真之。この三人 の足跡を追って物語は展開しています。 |
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■愚陀仏庵
漱石の下宿で、子規と同居していた時期もあり、友人達と文学談義に花を咲かせたところです。漱石は旧制松山中学校へ英語の教師として赴任し、52日間を子規と過ごし、俳句を勉強して文学の世界を広げました。また、漱石が 明治の ベストセラー作家となったのは、子規亡き後子規から虚子へと受け継がれた俳誌『ホトトギス』に小説『吾輩は猫である』を発表したのがきっかけでした。俳都松山は、漱石文学誕生の地でもあります。 |
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■子規記念博物館
「子規記念博物館」は道後公園内にあり、松山が生んだ明治の文学者正岡子規の手紙、短冊、書籍 約1万700点などが収集展示されている他、道後・松山の歴史や文化も紹介しています。
「子規堂」は、松山市駅の南側にある正宗寺境内にある記念堂で、子規の旧居を再現したもので、堂内には勉強机などの遺品、遺墨や夏目漱石との交友文献などが保存されています。
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■子規俳句賞
愛媛県では、俳句など短詩型の発展、顕彰のため、俳人・正岡子規の名を冠した「正岡子規国際俳句賞」を創設いたしました。
対象は俳句をはじめとする短詩型作品で日本語、外国語を問いません。俳句王国愛媛より短詩型を世界に発信できるチャンスです。ぜひチャレンジしてみませんか |
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■道後温泉
歴史ある お湯と文学の香りにかこまれて
歴史の古い温泉街の風情を残して、今につづく道後温泉。
かつての文豪たちはこのお湯につかって豊かな文才を高めていったのでしょうか ・・・
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